2011年02月13日
大切な家族の思い出 『鍼灸おじさんへ』
『鍼灸おじさん』は今頃、多分驚いているとおもいます
今日は『鍼灸おじさん』のブログの『私の「歌作り」』という記事を読ませていただき、
私の親戚の『てい子おばさん』のお話もしたくて、この題材にしました
『鍼灸おじさん』は、私がブログを始めてから、ネットサーフィンの楽しみを覚え、
その中で、初めて『ブログの記事を読んで涙を流す』という体験をさせてくれた
とても温かい気持ちにさせてくれる、素敵なおじさんです
那覇市で鍼灸院を営まれる、70歳というお年でありながら、それを一切感じさせず、好奇心旺盛、チャレンジ精神と若さのパワーあふれる方で、
素晴らしい技術を持って鍼治療を施す、仙人のような方です
今日は、鍼灸おじさんこと、具志堅さんのブログの『私の「歌作り」』という記事を読んで、最後に綴られた
『これを子孫に残すつもりはない、全て消し去るつもりだ』という言葉から、
『歌も記事たちも、全て残して欲しい』と思ったのと、
日ごろの具志堅さんの
『自分のためのブログ』とおっしゃる言葉に背中を押されたのと、
この二つの思いから、『てい子おばさん』について書きたいと思います。
ここから先はかなり長くなると思います。
(ここから3メートルくらい下まで、記事は続くと思います。本当です)
ブログって何文字までオッケーなんだろう?
ってくらい、書きたいように書くつもりなので、読む人はもっと覚悟が必要だと思います。
初めで断っておきますね
途中で、具志堅さんが読むのを断念しても、私の思いが伝わりますように、
もう一度言わせて頂きますが、
『具志堅さんの記事と歌は、子孫のために全て残して欲しいです
』
では、てい子おばさんについてお話させて下さいね
てい子おばさんは、現在90歳くらい。
糸満の、今は亡き妹さん夫婦の家で、ひとり暮らしをする、
おばあさんです。
私とてい子おばさんの関係は、ちょっと遠い親戚です。
私の父のお父さんの、お姉さんの娘がてい子おばさん。
早くいえば父のいとこで、私はてい子おばさんからは『いちくみぃ~っくゎ』になります。
私は母に育てられましたが、私が2歳くらいの時に離婚した、
父方のおばあちゃんっ子でした。
今思えば、『美奈子を愛してくれる人はたくさんいた方がいいから
』と
心おきなく、存分におばあちゃん家に行き来させてくれた、母に感謝です。
そのため、小学校低学年くらいまで、夏休み、冬休みはいつも父方の、一人暮らしをしているおばあちゃん家に長期滞在させてもらって、いっぱいいっぱい甘えさせてもらっていました。
父は、私が物心ついたときにはもうすでに内地に住んでおり、その後、今日にいたるまで、3回くらいしか会ったことはなく、どちらかというと『父』というより、『遠い親戚のおじさん』という感じです。
クリスマスになると、牧港のてい子おばさんの外人住宅(てい子おばさんのご主人は外人さんでした)に父方の親戚一同が集まり、
みんなでクリスマスパーティを楽しみました
私の父方のおじいちゃんは奄美大島の出身で、親戚といっても
てい子おばさん夫婦と、その妹夫婦、私のおばあちゃんと長男おじさんとその息子のお兄ちゃん、といった顔ぶれで、私のいとこにあたるお兄ちゃんは9つも歳が上で、私以外はみんな大人だったので、
パーティーが終わった翌日にみんなが帰ったあとも、2,3日滞在するのが常だった私とおばあちゃんでしたが、私は子どもひとりで暇をもてあまし、近所をブラブラ散策したりして過ごしたのを憶えています。
小さかった私の目にうつる『てい子おばさん』は、今でいうセレブのおばさまで、姉御肌でみんなに頼りにされる、知性と気品にあふれインテリな感じの綺麗なおばさんでしたが、話した会話はあまり記憶になく、
私が片付けをしなかったり、なにかいたずらした時に叱られたことくらいしか憶えていませんでした。
・・・いつしか私はだんだん大きくなって、『友達と遊ぶのが一番楽しい休みの過ごし方」となり、
次第に、大好きなおばあちゃん家で過ごすこともなくなり、てい子おばさんの家に最後に行ったのは小3のクリスマスが最後だったように思います。
それから歳月が流れ、大好きなおばあちゃんは私が二十歳の時に天国へ旅立っていき、
てい子おばさんは、それよりかなり前にご主人の国、アメリカに移り住んでおり、
その時はもう、元々母とは離婚していたこともあり、父方の親戚とも疎遠になっていました。
おばあちゃんが亡くなるちょっと前に、私は子ども達の父親と知り合い、
その後結婚、出産、子育て、そして離婚・・・と色々な経験をしながら忙しく過ごしてきました。
・・・・そして3年程前に、母から懐かしい名前を聞きました。
『てい子おばさんは、ご主人が亡くなった後、沖縄に帰ってきて、妹夫婦と一緒に暮らしてたらしいんだけど、その妹夫婦も亡くなって、今は糸満で一人暮らししているってよ。』
『てい子おばさんが年老いて、一人暮らししている』
その話を聞き、
『母ちゃん、一緒に会いに行こう!』と言うと、
母は、『私はいいよ~、そんなに付き合いなかったし。』と言う。
そりゃそうだ。
私が2歳の頃、40年近くも前に離婚した相手のいとこのおばさんなんて
母にとってはもはや親戚ではないのかもしれない。
・・・でも、私にとっては、ちょっと遠い親戚かもしれないけど、父方の数少ない親戚のおばさんで、小さい頃はクリスマスプレゼントもたくさんもらったし、おばあちゃんと二人でよく泊めてもらってとても良くしてもらったおばさんだ。
・・・先に亡くしたおばあちゃんも一人暮らしだったし、その頃の私はまだまだキャピキャピの若い娘で、おばあちゃん孝行も何もしてあげてなかったから、おばあちゃんへの孝行のつもりで、亡くなったおばあちゃんの代わりに、てい子おばさんに会いに行きたい!
そして2年前、小3から約30年振りにてい子おばさんと再会を果たしました。
30年ぶりのてい子おばさんは・・・
待ち合わせの場所に車を運転して現れ、『美奈子ぉ、私に付いてきて
』と、
思いのほか元気で、『相変わらず、颯爽とした方だなぁ
』と安心しました。
が、家に着き、車から降りてきたてい子おばさんは
しわしわの顔になり、腰も曲がってしまい、とても小さなおばあさんになっていました。
私の顔をまじまじと見たてい子おばさんは
『あっけ~、美奈子! あんたお父さんにそっくりじゃがね~!』と
懐かしい大島弁で出迎えてくれ、居間に通されると、
妹さん夫婦のご仏壇に手を合わし、
『いとえ~、さいぎ、(妹さんとそのご主人の名前)今日は美奈子が遊びに来たよ~』
と、言ったあと線香が消えるのも待たずに、二階の部屋に案内されて
今度はご主人と、40歳という若さでお亡くなりになった、たったひとりの娘さん、
それとてい子おばさんのお母さんのご仏壇にお線香を上げて、
『ジョージ、のりよ、お母さん、美奈子が遊びに来たよ~、見てるねぇ~』
と、仏様に話しかけるてい子おばさん。
『一階は妹夫婦の部屋で、二階が私の部屋だから、だいたいは二階に上がっているからさ、電話が掛かってきてもあまり聞こえないよ~』と、
妹夫婦が他界して、もう何年も経つのに、一階の部屋は昔のままにしてある。
テレビも、暖房も『仏様が不自由のないように』とつけっぱなしで・・・。
『私はね~、今は仏様に囲まれて暮らしているさぁ~。
何の生まれかねぇ、美奈子。。。
一番最後までひとりぼっちで生きて、仏様と話する毎日過ごしているさぁ
』
と言う。 淋しそうだが、とても明るい口調で・・・。
思わず、涙があふれそうになるのを必死にこらえ、返す言葉もなかったです。
・・・でも、さすがにセンスと知性の良さは、年老いた今もまだまだ棄てたもんじゃなく、
ほんのりと薄化粧をしたおばさんは
『でもね、いつもこんなしてクロスワードを解いたり、本をよんだりしてね、頭がボケないようにしているよ~
近くの公園に野良猫がいるから、4時になると買い物の帰りに公園に寄って、毎日餌をあげるんだよ~』と、
驚いた事に、腰もまがっているのに毎日、車も運転しているようだ。
・・・そんな元気なてい子おばさんだったが、今年の寒さは、脂肪も少なく、か細いてい子おばさんの体には応えたらしく、腰の痛みがひどくなったようで、昨年のクリスマス前、久り振りにてい子おばさんの家を訪ねたときは、めっきり老けこんでいました。
私が行ったときには、痛みはピークを越えたあとで、元気にはなっていたものの、
話を聞くと、寝たら起き上がれず、座ると頭を持ち上げられず、でも又横になると起き上がれなくなってしまうので、座ったまま机に頭を『うっちんたぁ』して過ごしていたそうです。
『うっちんたーが何日も続いたから、顔がむくんで、昨日くらいからやっと元の顔に戻ってるよ~』
と言う、てい子おばさん。。。
糸満まで毎日毎日様子を見に来ることも出来ない私は、
『てい子おばさん、ヘルパーさんとかお願いして手伝いにきてもらったら?』と言うと、
『もうちょっと元気になってから、役場にいくさぁ』と言う。
『元気になってからでは意味がないさぁ。自分で大変だからヘルパーさん頼むんでしょ?
私が手続きしに行くよ~』と言っても、
『近所の人がちょこちょこ来てくれるから大丈夫だよ』と言ってききません。
・・・・『ただね~、家はさいぎの猫がいるから毛がいっぱい落ちて、・・・腰がこうなって掃除が出来ない。』と言うので、
『掃除機はどこにあるの?』と、掃除しようとしても
『いいよいいよ、それよりこれ聴いてごらん♪
牧港の家で昔集まったときのカラオケの歌だよ~、お母さんもいとえも歌が上手でしょう♪』と言って
昔、録音した奄美大島の民謡を歌うお母さんと、妹の歌を嬉しそうに流し始めました。
『美奈子、お母さんもいとえも歌が上手いでしょう? あんたのじっちゃんも民謡の歌手だったがね~!お母さんの家系はみんな歌が上手いからね~!音痴は私だけじゃが(笑)牧港の家は、いつも人が集まる家だったよね~』と、とても懐かしそうでした。
今では、一直線に伸びる階段を上がることもままならなくなり、
二階のご主人、娘さん、お母さんのご仏壇のそばでくつろぐことも出来なくなったので、一階の居間で昔の家族の歌声を聴くのが、おばさんの唯一の楽しみになっているのでしょう。
再会してからは、盆と正月におばさんに会いに行っていた私ですが、
『アメリカでは、長い事、楽しいクリスマスを過ごしていただろうから、今年はお歳暮はやめて、ちょっと奮発してクリスマスプレゼントを持って行こう
』と、
クリスマスをちょっと過ぎてましたが、電子レンジを買って行きました。
大きなプレゼントの箱を見たてい子おばさんは、
『あっけ~、こんな大きなプレゼントは久しぶりじゃが
なんでこんなするね~。』と言いながらも嬉しそうでした
『こんな買い物して、私はあと一ヶ月か二ヶ月、ホントに一時しか使えんはずよ~、こんなにあちこち痛くなってるし、もう長くないのに・・・』と言うてい子おばさんでしたが、
『なんで、じゃあその一時の間は毎日いっぱい使えばいいさぁ
』と返すと、
ニヤリと笑って、『どこに置くかね、こんな大きいの
』と言って、ガサガサ片付け出していました。
キッチン周りを掃除し、片付けてると、一人暮らしのお年寄りの大変さが
しみじみと、そして現実問題として身に沁みます。
心や頭は、それまでの年月分、誰よりも賢く、その分思いも色々なはず。
なのに、体だけが年老いて、思うようにいかないなんて、本人にとってこれほど残酷で哀しい事はないと思います。
そして、誰かにお世話になる事の大切さを、誰よりも知っているだけに遠慮してしまって・・。
『てい子おばさん、私さ、こないだ鍼治療に行ってきて、体がとても軽くなったわけさ
凄い先生がいるから、今度一緒に行こう
』と誘うと、
『鍼はアメリカにいる時に行ったよ~、でも私のは骨が曲がってるし、今の痛さは骨と骨があたってる痛さだから、鍼打っても治らんはず・・。
それより、二階の仏壇を掃除しないといけないけど、この腰では出来ないから、掃除してもらえないかねぇ』と言うので、
『じゃ、今やるよ
』と言ったが、今日はもう疲れてしまったようで、監督できないなら別の日がよいらしく、
『じゃ、今度は朝から来て、仏壇の掃除したあと、那覇まで鍼治療しに行こうね
』と、半ば強引に約束して、その日は帰りました。
年が明けて、約束通りに仏壇の掃除を終えると、
『いや~、スッキリして胸のつかえが降りた~
もう何年も掃除してなかったから、ずっと気にかかってたさぁ、本当にありがとう
』って言うてい子おばさん。
『はい、これから鍼治療しに那覇に行こう
』と言うと、
『今日は寒くて外に出られない。髪も染めてないし。』と言う。
『だぁ、じゃあ髪染めよう
』と言うと、
『今日はもういいよ~、いつも自分でやっているから、自分の気が向いたときにするさぁ。もう下に降りて、お母さんたちのカラオケ聴こう』と言う。
『あぁあ
今日はてい子おばさんに振られたなぁ
私も肩凝ってるから、一緒に鍼治療しようって張り切ってきたのに』と言うと、
『・・・・・もうちょっと暖かくなってから行くさぁ。』と、少しは観念した様子でした。
てい子おばさんに何か喜んでもらいたい私。
お金もあまりなく、物ではない何か良いものはないかしらと考え、出てきた言葉は
『私はてい子おばさんのような、頭がよくてスマートで粋な女になりたいなぁ
てい子おばさんはカッコイイおばあだから
』という言葉。。。
でも、ホントにカッコイイと思う
自分の体のことはちょいちょいこぼしはするが、それ以外に弱音は吐かない。
弱音を吐くと、自分に負けてしまうのかもしれない。。。
でも、一度だけ小さな声で
『美奈子が近くに住んどったらね~』っとつぶやいた事があった。
『なんで、車で1時間だのに近いさぁ~
なんかあったらじゃなくて、何もなくてもいつでも電話するんだよ~
』と言った私だが、
おそらく、てい子おばさんは電話しないと思います。。。
てい子おばさんは、今日も『お母さんといとえの歌声』を聴きながら、愛する人たちと過ごした時間にタイムスリップして、幸せなひと時を過ごしているでしょう
私は、私が生まれる前に亡くなった、父方の民謡が聴いてみたいと思ってます。
てい子おばさんのとこにも、私のおじさん、(じっちゃんの息子)のとこにも、録音されたテープなどは残ってませんが、なぜか諦めてはいない私。
生きていれば、今頃、100歳くらいのじっちゃんですが、生前は奄美の有名な民謡歌手で、お祝いがあるとなると呼ばれて歌っていたそうです。
今で言う、モテモテのイケメン歌手だったらしく、じっちゃんの女性関係で私のおばあちゃんは苦労してたと言う話を、最近てい子おばさんから聞きました。
そんな、会ったこともないじっちゃんですが、私は一度でいいからじっちゃんの歌声を聴いてみたいです
『そんなに有名だったのなら、もしかしたら、1枚くらいはレコードとかが奄美大島のどこかに眠っているかもしれない』と思えてしかたがないのです。
いつか、『探偵ナイトスクープ』という、大好きな番組の探偵さんに依頼しようかと真剣に考えてて、
『ただで奄美大島まで連れてってもらった時に、番組のみなさんに申し訳が立つように、三線も始めて、御礼にじっちゃんの歌に合わせて弾けるくらいにはしておこう
』と、去年から三線も習い始めたくらいです
(最近は島ぞうり彫りに時間を費やし、全然稽古していませんが
)
それほどまでして、聴きたいです
・・・それは、自分のルーツだからだと思います
だから、具志堅さんは素晴らしいものをたくさん残せるのに、消去するのは本当にもったいないと思います
是非、残して欲しいです
他に代わりはありません
具志堅さんが、亡き奥様の記事たちを愛するように、具志堅さんのことを愛しむ家族の宝物になると思います
他人の私でさえ、涙するほどの愛情あふれる作品なのですから
・・・まだまだ寒い日が続きますが、近いうちに具志堅さんの治療院に、てい子おばさんと一緒に行こうと思っています
腰も曲がって脂肪もなく、
『連れていっても、はたして鍼治療を施すことは出来るのかしら?』と、いささか不安もありますが・・・。
てい子おばさんが、いちゃもんつけられないくらいの暖かな日を見つけたら・・・・

その時は、どうぞよろしくお願いします
こんなに長い文章を最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます

今日は『鍼灸おじさん』のブログの『私の「歌作り」』という記事を読ませていただき、
私の親戚の『てい子おばさん』のお話もしたくて、この題材にしました


その中で、初めて『ブログの記事を読んで涙を流す』という体験をさせてくれた
とても温かい気持ちにさせてくれる、素敵なおじさんです

那覇市で鍼灸院を営まれる、70歳というお年でありながら、それを一切感じさせず、好奇心旺盛、チャレンジ精神と若さのパワーあふれる方で、
素晴らしい技術を持って鍼治療を施す、仙人のような方です

今日は、鍼灸おじさんこと、具志堅さんのブログの『私の「歌作り」』という記事を読んで、最後に綴られた
『これを子孫に残すつもりはない、全て消し去るつもりだ』という言葉から、
『歌も記事たちも、全て残して欲しい』と思ったのと、
日ごろの具志堅さんの
『自分のためのブログ』とおっしゃる言葉に背中を押されたのと、
この二つの思いから、『てい子おばさん』について書きたいと思います。
ここから先はかなり長くなると思います。
(ここから3メートルくらい下まで、記事は続くと思います。本当です)
ブログって何文字までオッケーなんだろう?
ってくらい、書きたいように書くつもりなので、読む人はもっと覚悟が必要だと思います。
初めで断っておきますね

途中で、具志堅さんが読むのを断念しても、私の思いが伝わりますように、
もう一度言わせて頂きますが、
『具志堅さんの記事と歌は、子孫のために全て残して欲しいです



てい子おばさんは、現在90歳くらい。
糸満の、今は亡き妹さん夫婦の家で、ひとり暮らしをする、
おばあさんです。
私とてい子おばさんの関係は、ちょっと遠い親戚です。
私の父のお父さんの、お姉さんの娘がてい子おばさん。
早くいえば父のいとこで、私はてい子おばさんからは『いちくみぃ~っくゎ』になります。
私は母に育てられましたが、私が2歳くらいの時に離婚した、
父方のおばあちゃんっ子でした。
今思えば、『美奈子を愛してくれる人はたくさんいた方がいいから

心おきなく、存分におばあちゃん家に行き来させてくれた、母に感謝です。
そのため、小学校低学年くらいまで、夏休み、冬休みはいつも父方の、一人暮らしをしているおばあちゃん家に長期滞在させてもらって、いっぱいいっぱい甘えさせてもらっていました。
父は、私が物心ついたときにはもうすでに内地に住んでおり、その後、今日にいたるまで、3回くらいしか会ったことはなく、どちらかというと『父』というより、『遠い親戚のおじさん』という感じです。

みんなでクリスマスパーティを楽しみました

私の父方のおじいちゃんは奄美大島の出身で、親戚といっても
てい子おばさん夫婦と、その妹夫婦、私のおばあちゃんと長男おじさんとその息子のお兄ちゃん、といった顔ぶれで、私のいとこにあたるお兄ちゃんは9つも歳が上で、私以外はみんな大人だったので、
パーティーが終わった翌日にみんなが帰ったあとも、2,3日滞在するのが常だった私とおばあちゃんでしたが、私は子どもひとりで暇をもてあまし、近所をブラブラ散策したりして過ごしたのを憶えています。
小さかった私の目にうつる『てい子おばさん』は、今でいうセレブのおばさまで、姉御肌でみんなに頼りにされる、知性と気品にあふれインテリな感じの綺麗なおばさんでしたが、話した会話はあまり記憶になく、
私が片付けをしなかったり、なにかいたずらした時に叱られたことくらいしか憶えていませんでした。
・・・いつしか私はだんだん大きくなって、『友達と遊ぶのが一番楽しい休みの過ごし方」となり、
次第に、大好きなおばあちゃん家で過ごすこともなくなり、てい子おばさんの家に最後に行ったのは小3のクリスマスが最後だったように思います。
それから歳月が流れ、大好きなおばあちゃんは私が二十歳の時に天国へ旅立っていき、
てい子おばさんは、それよりかなり前にご主人の国、アメリカに移り住んでおり、
その時はもう、元々母とは離婚していたこともあり、父方の親戚とも疎遠になっていました。
おばあちゃんが亡くなるちょっと前に、私は子ども達の父親と知り合い、
その後結婚、出産、子育て、そして離婚・・・と色々な経験をしながら忙しく過ごしてきました。
・・・・そして3年程前に、母から懐かしい名前を聞きました。
『てい子おばさんは、ご主人が亡くなった後、沖縄に帰ってきて、妹夫婦と一緒に暮らしてたらしいんだけど、その妹夫婦も亡くなって、今は糸満で一人暮らししているってよ。』
『てい子おばさんが年老いて、一人暮らししている』
その話を聞き、
『母ちゃん、一緒に会いに行こう!』と言うと、
母は、『私はいいよ~、そんなに付き合いなかったし。』と言う。
そりゃそうだ。
私が2歳の頃、40年近くも前に離婚した相手のいとこのおばさんなんて
母にとってはもはや親戚ではないのかもしれない。
・・・でも、私にとっては、ちょっと遠い親戚かもしれないけど、父方の数少ない親戚のおばさんで、小さい頃はクリスマスプレゼントもたくさんもらったし、おばあちゃんと二人でよく泊めてもらってとても良くしてもらったおばさんだ。
・・・先に亡くしたおばあちゃんも一人暮らしだったし、その頃の私はまだまだキャピキャピの若い娘で、おばあちゃん孝行も何もしてあげてなかったから、おばあちゃんへの孝行のつもりで、亡くなったおばあちゃんの代わりに、てい子おばさんに会いに行きたい!
そして2年前、小3から約30年振りにてい子おばさんと再会を果たしました。
30年ぶりのてい子おばさんは・・・
待ち合わせの場所に車を運転して現れ、『美奈子ぉ、私に付いてきて

思いのほか元気で、『相変わらず、颯爽とした方だなぁ

が、家に着き、車から降りてきたてい子おばさんは
しわしわの顔になり、腰も曲がってしまい、とても小さなおばあさんになっていました。
私の顔をまじまじと見たてい子おばさんは
『あっけ~、美奈子! あんたお父さんにそっくりじゃがね~!』と
懐かしい大島弁で出迎えてくれ、居間に通されると、
妹さん夫婦のご仏壇に手を合わし、
『いとえ~、さいぎ、(妹さんとそのご主人の名前)今日は美奈子が遊びに来たよ~』
と、言ったあと線香が消えるのも待たずに、二階の部屋に案内されて
今度はご主人と、40歳という若さでお亡くなりになった、たったひとりの娘さん、
それとてい子おばさんのお母さんのご仏壇にお線香を上げて、
『ジョージ、のりよ、お母さん、美奈子が遊びに来たよ~、見てるねぇ~』
と、仏様に話しかけるてい子おばさん。
『一階は妹夫婦の部屋で、二階が私の部屋だから、だいたいは二階に上がっているからさ、電話が掛かってきてもあまり聞こえないよ~』と、
妹夫婦が他界して、もう何年も経つのに、一階の部屋は昔のままにしてある。
テレビも、暖房も『仏様が不自由のないように』とつけっぱなしで・・・。
『私はね~、今は仏様に囲まれて暮らしているさぁ~。
何の生まれかねぇ、美奈子。。。
一番最後までひとりぼっちで生きて、仏様と話する毎日過ごしているさぁ

と言う。 淋しそうだが、とても明るい口調で・・・。
思わず、涙があふれそうになるのを必死にこらえ、返す言葉もなかったです。
・・・でも、さすがにセンスと知性の良さは、年老いた今もまだまだ棄てたもんじゃなく、
ほんのりと薄化粧をしたおばさんは
『でもね、いつもこんなしてクロスワードを解いたり、本をよんだりしてね、頭がボケないようにしているよ~

驚いた事に、腰もまがっているのに毎日、車も運転しているようだ。
・・・そんな元気なてい子おばさんだったが、今年の寒さは、脂肪も少なく、か細いてい子おばさんの体には応えたらしく、腰の痛みがひどくなったようで、昨年のクリスマス前、久り振りにてい子おばさんの家を訪ねたときは、めっきり老けこんでいました。
私が行ったときには、痛みはピークを越えたあとで、元気にはなっていたものの、
話を聞くと、寝たら起き上がれず、座ると頭を持ち上げられず、でも又横になると起き上がれなくなってしまうので、座ったまま机に頭を『うっちんたぁ』して過ごしていたそうです。
『うっちんたーが何日も続いたから、顔がむくんで、昨日くらいからやっと元の顔に戻ってるよ~』
と言う、てい子おばさん。。。
糸満まで毎日毎日様子を見に来ることも出来ない私は、
『てい子おばさん、ヘルパーさんとかお願いして手伝いにきてもらったら?』と言うと、
『もうちょっと元気になってから、役場にいくさぁ』と言う。
『元気になってからでは意味がないさぁ。自分で大変だからヘルパーさん頼むんでしょ?
私が手続きしに行くよ~』と言っても、
『近所の人がちょこちょこ来てくれるから大丈夫だよ』と言ってききません。
・・・・『ただね~、家はさいぎの猫がいるから毛がいっぱい落ちて、・・・腰がこうなって掃除が出来ない。』と言うので、
『掃除機はどこにあるの?』と、掃除しようとしても
『いいよいいよ、それよりこれ聴いてごらん♪
牧港の家で昔集まったときのカラオケの歌だよ~、お母さんもいとえも歌が上手でしょう♪』と言って
昔、録音した奄美大島の民謡を歌うお母さんと、妹の歌を嬉しそうに流し始めました。
『美奈子、お母さんもいとえも歌が上手いでしょう? あんたのじっちゃんも民謡の歌手だったがね~!お母さんの家系はみんな歌が上手いからね~!音痴は私だけじゃが(笑)牧港の家は、いつも人が集まる家だったよね~』と、とても懐かしそうでした。
今では、一直線に伸びる階段を上がることもままならなくなり、
二階のご主人、娘さん、お母さんのご仏壇のそばでくつろぐことも出来なくなったので、一階の居間で昔の家族の歌声を聴くのが、おばさんの唯一の楽しみになっているのでしょう。
再会してからは、盆と正月におばさんに会いに行っていた私ですが、
『アメリカでは、長い事、楽しいクリスマスを過ごしていただろうから、今年はお歳暮はやめて、ちょっと奮発してクリスマスプレゼントを持って行こう

クリスマスをちょっと過ぎてましたが、電子レンジを買って行きました。
大きなプレゼントの箱を見たてい子おばさんは、
『あっけ~、こんな大きなプレゼントは久しぶりじゃが

なんでこんなするね~。』と言いながらも嬉しそうでした

『こんな買い物して、私はあと一ヶ月か二ヶ月、ホントに一時しか使えんはずよ~、こんなにあちこち痛くなってるし、もう長くないのに・・・』と言うてい子おばさんでしたが、
『なんで、じゃあその一時の間は毎日いっぱい使えばいいさぁ

ニヤリと笑って、『どこに置くかね、こんな大きいの

キッチン周りを掃除し、片付けてると、一人暮らしのお年寄りの大変さが
しみじみと、そして現実問題として身に沁みます。
心や頭は、それまでの年月分、誰よりも賢く、その分思いも色々なはず。
なのに、体だけが年老いて、思うようにいかないなんて、本人にとってこれほど残酷で哀しい事はないと思います。
そして、誰かにお世話になる事の大切さを、誰よりも知っているだけに遠慮してしまって・・。
『てい子おばさん、私さ、こないだ鍼治療に行ってきて、体がとても軽くなったわけさ

凄い先生がいるから、今度一緒に行こう

『鍼はアメリカにいる時に行ったよ~、でも私のは骨が曲がってるし、今の痛さは骨と骨があたってる痛さだから、鍼打っても治らんはず・・。
それより、二階の仏壇を掃除しないといけないけど、この腰では出来ないから、掃除してもらえないかねぇ』と言うので、
『じゃ、今やるよ

『じゃ、今度は朝から来て、仏壇の掃除したあと、那覇まで鍼治療しに行こうね

年が明けて、約束通りに仏壇の掃除を終えると、
『いや~、スッキリして胸のつかえが降りた~

もう何年も掃除してなかったから、ずっと気にかかってたさぁ、本当にありがとう

『はい、これから鍼治療しに那覇に行こう

『今日は寒くて外に出られない。髪も染めてないし。』と言う。
『だぁ、じゃあ髪染めよう

『今日はもういいよ~、いつも自分でやっているから、自分の気が向いたときにするさぁ。もう下に降りて、お母さんたちのカラオケ聴こう』と言う。
『あぁあ


私も肩凝ってるから、一緒に鍼治療しようって張り切ってきたのに』と言うと、
『・・・・・もうちょっと暖かくなってから行くさぁ。』と、少しは観念した様子でした。
てい子おばさんに何か喜んでもらいたい私。
お金もあまりなく、物ではない何か良いものはないかしらと考え、出てきた言葉は
『私はてい子おばさんのような、頭がよくてスマートで粋な女になりたいなぁ

てい子おばさんはカッコイイおばあだから

でも、ホントにカッコイイと思う

自分の体のことはちょいちょいこぼしはするが、それ以外に弱音は吐かない。
弱音を吐くと、自分に負けてしまうのかもしれない。。。
でも、一度だけ小さな声で
『美奈子が近くに住んどったらね~』っとつぶやいた事があった。
『なんで、車で1時間だのに近いさぁ~

なんかあったらじゃなくて、何もなくてもいつでも電話するんだよ~

おそらく、てい子おばさんは電話しないと思います。。。



てい子おばさんのとこにも、私のおじさん、(じっちゃんの息子)のとこにも、録音されたテープなどは残ってませんが、なぜか諦めてはいない私。
生きていれば、今頃、100歳くらいのじっちゃんですが、生前は奄美の有名な民謡歌手で、お祝いがあるとなると呼ばれて歌っていたそうです。
今で言う、モテモテのイケメン歌手だったらしく、じっちゃんの女性関係で私のおばあちゃんは苦労してたと言う話を、最近てい子おばさんから聞きました。
そんな、会ったこともないじっちゃんですが、私は一度でいいからじっちゃんの歌声を聴いてみたいです

『そんなに有名だったのなら、もしかしたら、1枚くらいはレコードとかが奄美大島のどこかに眠っているかもしれない』と思えてしかたがないのです。

『ただで奄美大島まで連れてってもらった時に、番組のみなさんに申し訳が立つように、三線も始めて、御礼にじっちゃんの歌に合わせて弾けるくらいにはしておこう


(最近は島ぞうり彫りに時間を費やし、全然稽古していませんが

それほどまでして、聴きたいです

・・・それは、自分のルーツだからだと思います

だから、具志堅さんは素晴らしいものをたくさん残せるのに、消去するのは本当にもったいないと思います

是非、残して欲しいです

他に代わりはありません

具志堅さんが、亡き奥様の記事たちを愛するように、具志堅さんのことを愛しむ家族の宝物になると思います

他人の私でさえ、涙するほどの愛情あふれる作品なのですから



腰も曲がって脂肪もなく、
『連れていっても、はたして鍼治療を施すことは出来るのかしら?』と、いささか不安もありますが・・・。
てい子おばさんが、いちゃもんつけられないくらいの暖かな日を見つけたら・・・・


その時は、どうぞよろしくお願いします

こんなに長い文章を最後まで読んで下さって、本当にありがとうございます

Posted by ふてんま44 at 01:15│Comments(10)
│日々のつぶやき
この記事へのコメント
自分の気持ちをうまく表現して、感情のこもった、内容でした
てい子おばさんと一緒に鍼治療行けたら いいですね
脂肪も分けられたらいいですね、、、
てい子おばさんと一緒に鍼治療行けたら いいですね
脂肪も分けられたらいいですね、、、
Posted by 酔っパ毛 蟹蔵 at 2011年02月13日 19:10
「愛」 を、感じました。
てい子おばさんも、ふてんま44さんの 思いやりに
季節よりも、いち早く心 暖かく なってるでしょうね。
きっと、ぐしけんさんにも、気持ち 届いてますよ。
てい子おばさんも、ふてんま44さんの 思いやりに
季節よりも、いち早く心 暖かく なってるでしょうね。
きっと、ぐしけんさんにも、気持ち 届いてますよ。
Posted by 夜の天使 at 2011年02月13日 19:27
すごい「自伝小説」を書かせてしまいました。
責任を痛感します。
まだまだ「個人情報」が宝物の若さなのに、申し訳ありません。
具志堅 興清
責任を痛感します。
まだまだ「個人情報」が宝物の若さなのに、申し訳ありません。
具志堅 興清
Posted by 具志堅興清
at 2011年02月13日 22:18

酔っパ毛さん!
嬉しい! 最後まで読んでくれたの!!
知恵熱でもださんかなぁ、若干心配だけど(笑)
それと、私の脂肪の心配までしてもらって・・・。
大きなお世・・・いやいや、いつもいつも、ありがとうございま~す!!
嬉しい! 最後まで読んでくれたの!!
知恵熱でもださんかなぁ、若干心配だけど(笑)
それと、私の脂肪の心配までしてもらって・・・。
大きなお世・・・いやいや、いつもいつも、ありがとうございま~す!!
Posted by ふてんま44
at 2011年02月14日 00:17

夜の天使さん!
貴女も最後まで読んでくれたのね~!
ありがとう!!
やっぱり貴女は根性あるさぁ~(笑)
いやいや、本当に最後までお付き合いいただいて
ありがとうございました!!
貴女も最後まで読んでくれたのね~!
ありがとう!!
やっぱり貴女は根性あるさぁ~(笑)
いやいや、本当に最後までお付き合いいただいて
ありがとうございました!!
Posted by ふてんま44
at 2011年02月14日 00:19

具志堅さん♪
『申し訳ありません』なんてとんでもありませんよ~!
私は具志堅さんに感謝しています!
私をその気にさせて頂いて・・♪
『自伝小説』っておっしゃって頂き、恐縮です。
それと、私の『個人情報』なんて、そんなたいそうなものは持っていませんよ~(笑)
ブログ上で名前を出して、もし何か差し障るとしたら、過去に私が嫌な思いをさせてしまった方々に、私の名前を見ることによって、嫌な過去を思い出させてしまう事なんでしょうね~。
でも、もしそれでクレームとか何かあれば、『過去の過ちを清算していない』って気づく事になり、ちゃんとお詫びが出来るきっかけになるかもしれないし!
でも、のん気にもそんな事があるとは思っていないので、今のとこ怖いもんなしだし、失くすほどのものも持ち合わせておりませんので(笑)
名前とかも出して頂いて、嬉しいんですよ~♪
(名前を褒めて頂いてるので・・笑)
今回は本当に楽しかったです♪
ありがとうございました!!
そして具志堅さんの歌や記事、『残しておこうかなぁ』って、ちょっと思い直してくれてたら、本望です♪
コメントありがとうございます♪
『申し訳ありません』なんてとんでもありませんよ~!
私は具志堅さんに感謝しています!
私をその気にさせて頂いて・・♪
『自伝小説』っておっしゃって頂き、恐縮です。
それと、私の『個人情報』なんて、そんなたいそうなものは持っていませんよ~(笑)
ブログ上で名前を出して、もし何か差し障るとしたら、過去に私が嫌な思いをさせてしまった方々に、私の名前を見ることによって、嫌な過去を思い出させてしまう事なんでしょうね~。
でも、もしそれでクレームとか何かあれば、『過去の過ちを清算していない』って気づく事になり、ちゃんとお詫びが出来るきっかけになるかもしれないし!
でも、のん気にもそんな事があるとは思っていないので、今のとこ怖いもんなしだし、失くすほどのものも持ち合わせておりませんので(笑)
名前とかも出して頂いて、嬉しいんですよ~♪
(名前を褒めて頂いてるので・・笑)
今回は本当に楽しかったです♪
ありがとうございました!!
そして具志堅さんの歌や記事、『残しておこうかなぁ』って、ちょっと思い直してくれてたら、本望です♪
コメントありがとうございます♪
Posted by ふてんま44
at 2011年02月14日 00:36

(* ^-^)ノこんばんわぁ♪
今の瞬間を大事に・・・(^ー^* )フフ♪
この瞬間は明日ないですよ。
今の瞬間を大事に・・・(^ー^* )フフ♪
この瞬間は明日ないですよ。
Posted by BAR JJ
at 2011年02月14日 00:36

BAR JJ さん!
ホントよね~!
いつもいつも『今』を大切にしなきゃね~♪
ありがとうございます!
ホントよね~!
いつもいつも『今』を大切にしなきゃね~♪
ありがとうございます!
Posted by ふてんま44
at 2011年02月14日 02:36

はじめまして~、具志堅さんのブログ経由でふてんま44さんの事知りました。具志堅さんのブログに涙したとの事ですが、私は、貴方のてい子おばさんのお話に泣きました。貴方って情のある素敵な方ですね♪キングスのむぅさんと同級生?だとしたら、ためかもです。
Posted by イチゴ一枝 at 2011年03月12日 20:57
イチゴ一枝さん!!
コメントありがとうございます!!
それも、大好きな具志堅さんを経由してなんて・・♪♪
しかも、『キングス、むぅ』の事もご存知なんですね~!!
なんか、『ご縁』を感じます!!
そうですよ~♪ むぅは同級生です!
今回の同窓会には残念ながら参加出来なかったけど、忙しい中、ブログはチェックしてくれてて・・♪
そんな参加出来なかった彼らの為にも、早く記事をアップしたいと考えてるところです♪
イチゴ一枝さん♪ ネームも素敵!!
それに『タメ』ならなおの事♪
これからも覘いてもらって
お互い素敵な刺激を交換していきたいですぅ♪
又のお越しを心待ちにしています!
コメントありがとうございます♪
コメントありがとうございます!!
それも、大好きな具志堅さんを経由してなんて・・♪♪
しかも、『キングス、むぅ』の事もご存知なんですね~!!
なんか、『ご縁』を感じます!!
そうですよ~♪ むぅは同級生です!
今回の同窓会には残念ながら参加出来なかったけど、忙しい中、ブログはチェックしてくれてて・・♪
そんな参加出来なかった彼らの為にも、早く記事をアップしたいと考えてるところです♪
イチゴ一枝さん♪ ネームも素敵!!
それに『タメ』ならなおの事♪
これからも覘いてもらって
お互い素敵な刺激を交換していきたいですぅ♪
又のお越しを心待ちにしています!
コメントありがとうございます♪
Posted by ふてんま44
at 2011年03月24日 23:44
